64Kbit DRAMと日米関係

ぼくがものごころ付いたころ、日本は国策で超LSI技術の開発に取り組んでいた。記憶では、通産省が超LSI技術研究組合を組織し、富士通、日立、三菱、日本電気、東芝が資金と技術者を出した。超LSI技術研究組合は、1980年、当時から見て次世代の微細加工技術を完成させ、解散した。最初の具体的な成果は、64KビットDRAMだった。それからあと、日本の半導体メーカーは世界のメモリ市場を席巻した。ぼくは、野球やサッカーの日本代表のサポーターのように、興奮した気持ちで、日本が半導体王国へと発展する経緯を見守った。だから、世間からはヘンなやつに見られるかもしれないが、64KビットDRAMは、そのあたりのCPUよりよほど強い思い入れがある。
DRAMの基本技術を確立したのはインテルであり、発展させたのはアメリカの半導体メーカーだ。アメリカは、自動車に続いて半導体でもおいしいところをもっていかれる格好になった。しばらくして、アメリカは日本の半導体需要の20%を輸入しろと無理な要求を突きつけてきた。このとき「数値目標」という言葉がはじめて新聞で使われた。流行語大賞があったら大賞を取っていただろう。
これに対し、通産省は、DRAMの生産を続けるかわりにCPUを輸入することで手を打った。当時、DRAMひとつとCPUひとつは同じ価格だった。DRAMには無限の需要が見込めたが、CPUは1台のコンピュータに1個しか使われないものだから、賢明な対応に見えた。まさか、DRAMの価格が暴落し、CPUがコンピュータでいちばん高価な部品になるとは想像していなかった。
アメリカの要求は、国家の判断としてはひどく理不尽に思えるが、先日、経済学の先生から別の見解を聞いた。アメリカ人は紙幣をただの紙と認識しており、貿易の不均衡は製品をただの紙と交換している状態に見えるらしい。印刷機を回せば解決する問題を、ちゃんと製品で返すといっているだけマシだと考えるべきだという。正直言っていまひとつ納得しづらい理屈だが、この30年の胸のつかえをなくすため、無理にでも納得しておきたい。
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